彼女は東城家の一人娘。
町で一番大きなお屋敷のお嬢さんだ。
対して僕は、何の変哲もない民家で生まれ育った。
誰もが「身分違いだ」と言うかもしれない。

けれど幼い僕らには「家柄」なんてものは何の意味もなく。
代わりに、大人に内緒で交わした指きりは、何よりも大きな意味があったのだ。














「東城さんところの千鶴ちゃん、今度お見合いするんですってね」





熱いお茶を飲んでさぁ出掛けようとした矢先の母親の一言に、少年――山崎大地は、口に含んだ茶を吹き出しそうになった。


「はぁッ?!何だよそれ、母さんはまたどこでそんな噂聞いてくるんだか」

「あら、本当よ?東城の旦那さん、お見合い写真何十枚も持ってきたんですって」

「……見合いって、千鶴はまだ14なんだぞ?」

「何言ってるの、母さんだって14の頃には沢山お見合いしたもんよ。母さんこう見えても昔は……」

「はいはい、町一番のお屋敷の美男子に交際申し込まれても、父さんと駆け落ちしたってんだろ?」

「そぉよぉ?お父ちゃんってば、由美は俺の嫁になるんだって、カッコ良かったんだから」


母親の目は既に大地を通り越して、過去の輝かしい思い出を見ている。
大地は溜息を一つ吐くと、「行ってきます」と呟いて学生鞄に手を掛けた。





東城千鶴とは幼馴染だ。
小さい頃はよく遅くまで外で遊んで、千鶴の父親に叱られる毎日だった。
最初は僕だけが怒られていたが、次第に千鶴も怒られるようになって、少しずつ遊ぶ日を減らしていった。
千鶴が怒鳴られるのは嫌だった。
けれど、怒鳴られれば泣きべそをかく千鶴だったけど、それでも彼女は僕が「遊ぶ日を減らそう」と言うと駄々を捏ねた。
近くに同じ年頃の子供は何人かいたのに、それでも「大ちゃんと遊ぶ」と言ってくれたのが、実はすごく嬉しかったのを覚えている。

しかし歳を重ねれば重ねるほど、「世間体」という言葉が僕らに圧し掛かった。

昔はどんなに怒られても僕といることをやめなかった千鶴が、「ごめんね」と言って寂しそうに僕の誘いを断る姿を、もう何度見ただろうか。
それを見るのが嫌で、余程の用がない限りは、千鶴を誘うことをしなくなった。
例えば、海の向こうからこの町に「さーかす」が来た時とか。
例えば、町で一番賑わう祭の時とか。
ただ最近は、それすらも千鶴の父親は了承してくれず、学校の帰りに少し遠回りして、いつも窓の外を見ている千鶴に手を振るのが精一杯だ。
千鶴と遊んでいた時は、千鶴の通う女学校よりも、自分の通う学校の方が終わりが遅いことが嫌だった。
それが今は、彼女よりも帰りが遅いお陰で、彼女と小さな交流を持つことを許されている。





――だけど千鶴が、お見合いをして、誰かの許嫁になってしまったら?





大地は考える。
きっともう、あの窓から外を見ることはなくなるだろう。
彼女が毎日のように窓の外を眺めているのは、決して偶然では無い。
あれは確かに、自分を待っていてくれたのだ。
千鶴がそう言った訳じゃない。
だけど大地はそう確信していた。
そうでなければ、いつも何かを探すように外を見ているはずがない。
ましてや、自分の姿を見つけるや否や、花のような笑顔で手を振ることなど。


――冗談じゃない。


掃除が終わると、大地は早足で学校を出た。
お見合いの日はいつなのか。
そもそも本当にお見合いなどするのだろうか。
千鶴は……あの日の約束を、忘れてしまったのか。





「千鶴!!」





ここまで来る途中、いつの間にか走っていた。
今日もやはり窓から「何か」を探しているような千鶴は、僕を見つけ微笑んで手を振った。
いつもなら僕も降り返してそれでおしまい、だけど。
息を整えるのも惜しくて、僕は肩で息をしたまま、二階の窓に向かって大声を張り上げた。
案の定千鶴は驚いたような顔で僕を見て、そうして窓を少しだけ、開ける。


「大、ちゃん……?どうしたの、大きな声で…」

「お前っ、お見合いするって本当なのか?!」


お見合い。
その単語を出した途端、千鶴の顔が歪むのが解った。
前からの約束を、父親の一言の所為で守れなかったあの時と同じ。
どうにもならないことが悔しくて、でも何も出来ない、あの時の千鶴の顔。


「大ちゃん、私……」

「千鶴、今、親父さんは?」

「……もう、帰ってきちゃう……大ちゃん、お見合い、今日なの、嫌だよ、私……お見合いなんてしたくないのに……」

「千鶴……」

「私、約束したもの……っ、大ちゃんの、お嫁さんになるって、……約束、したのに……」


千鶴の大きな目から涙が零れた。
同時に、小さな小さな声が、道端と部屋の距離でも、僕にははっきりと聞こえた。
助けて、と。
千鶴が泣いている。
僕に助けを求めている。
何より、昔の約束を今でも、ずっと覚えていてくれたんだ。
理由なんて、それで十分。


「千鶴!」


ぼろぼろと涙を流す千鶴に、僕は一生分の勇気を使って声を張り上げる。


「お見合いなんかやめちゃえよ!千鶴は僕のところにお嫁に来るんだろ?世間体なんか関係無いっ……それでも駄目なら……二人で駆け落ちすればいい!!」


ありったけの声で叫ぶと、お屋敷から使用人のおばさんが2人くらい出てきた。

――大地さん、困ります。お嬢様に変なことを吹き込まれては。
――お嬢様は今日、大事なお見合いなんですよ?

だから僕は言い返す。

――本人の意思は関係無いのか。
――千鶴のお見合いなんだろう?千鶴が嫌がってるなら意味が無いじゃないか!





「……大ちゃんっ!!」





千鶴の家の、大きな門の前で使用人のおばさん相手に捲し立てていた僕の耳に、千鶴の声が響く。
千鶴は使用人のおばさんの横を擦りぬけ、僕の手を取って勢い良く走り出した。
後ろからおばさん達の悲鳴が聞こえたけど、千鶴は走るのをやめない。


ようやく止まったのは、昔よく二人で遊んだ神社に着いてから。





「ちづっ……どうしたんだよ、いきなり……っ」

「大ちゃん、私、お父様と喧嘩してみるわ」

「……はぁ?」

「大ちゃんのお陰で勇気出たわ。ふふっ、もうお見合いの時間になるのに抜け出したりして、きっとお父様カンカンね」

「……あはは、怒ってそうだなぁ」

「でもいいの……お見合いなんかいらないわ。だって、……大ちゃんが、お嫁さんにしてくれるんでしょう?」


そう言って笑った千鶴の顔はもう、可愛いよりも綺麗で。
丁度夕陽がさす頃だったから良かったものの、僕の顔は真っ赤だったに違いない。





その後、僕と千鶴は千鶴の親父さんにこっぴどく叱られた。
お見合いは白紙。まぁ当然だとは思うけれど。
怒られながらも僕と千鶴は繋いだ手を離さない。


数年後、二人がどうなったかはまた別のお話。





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2005.12.18