たった一人の神様が世界を全部見ているなんてことは到底無理で。
だから、神様は一つの街に一人の天使を。
人間の生活を見守るのは神様ではなく天使の役目。
天使は何か問題が起きたら神様に伝え、神様は天使からの報告を受けて問題を解決させる。
天使は基本的に「見守るだけ」であり、手を貸せるのは神様だけなのだ。





アイリは三ヶ月前にようやく人間界へ降りることを許された新人天使だった。
新人の天使は一年間、研修先の街で先輩天使の研修を受け、一年の研修を終えたら一度神様の国へと戻り、試験を受ける。
そこで合格して初めて、一人で一つの街を任される一人前の天使になるのだ。
アイリが配属された研修先は華やかで憧れのトーキョー。街自体にも興味があった上に、そこを任されている先輩天使はアイリとって誰よりも尊敬している天使だった。


「ナナコ先輩!今日も宜しくお願いします!」


ナナコ、と呼ばれた天使は長い髪の美しい天使だった。
慈愛に満ちた笑顔、すらりと伸びた手足、純白の羽――まさに、「天使」に相応しい容姿のナナコは、アイリを見てニッコリと微笑む。
そして、


「このお馬鹿っ!集合時間はとっくに過ぎてるでしょう?!」
「うわーんっごめんなさいごめんなさいごめんなさぁぁぁぁい!!」


腰に手を当てて怒鳴ると、アイリは縮こまって何度も何度も頭を下げた。
三ヶ月前、研修が始まってからこの光景は見慣れたもので、成績優秀、数いる天使の中でもトップクラスのナナコが研修担当に選ばれたのは、研修を受ける側のアイリが余りにも落ちこぼれだったからなのだ。
しかし、ナナコはどんなに怒鳴っても呆れても、笑ったり馬鹿にしたりはしなかった。勿論、今言ったように「馬鹿」と言うことは多々あったが。
変に器用で世渡りが上手くて、真面目に仕事をしていないのに評価を得る同僚よりも、不器用でも世渡りが下手くそでも、本当は誰よりも「天使」の仕事が好きで努力しているアイリがナナコは好きだった。

「全く……今日の研修内容は覚えてる?」
「はいはーいっ、人間から神様へのお願いごとについてでーす!」
「宜しい。実際に例を交えて説明したいから、移動しながらの話になってもいいかしら?」
「大丈夫でーすっ!」

アイリの返事を聞き、ナナコは夜空に飛び上がる。
ナナコを追って、アイリもまたたどたどしいながら夜空にその羽を広げた。
「天使の羽」は研修先が決まって初めて与えられるもので、アイリはまだ上手く飛ぶことが出来ず、ナナコが少し目を離すとあっちこっちへふらふらしてしまう。

「あんたねー……いい加減慣れなさいよ」
「うあああんナナコ先輩待って下さいー!」

飲み込みが早ければ一週間もあれば飛び方など覚えてしまうものだが、三ヶ月経った今でもアイリは下手くそで。
しかしそれをナナコが叱ることはなかった。
どんなに下手くそでも、初めに比べれば明らかに上達はしている。結果が見えるのが非常に遅いだけで、昨日よりも今日、というようにきちんと成長はしているのだ。

「全く……少しゆっくり飛ぶから、話聞きながらちゃんとついてきなさいよ?」
「な、何とか……!」
「人間から神様への願いっていうのはそれこそ尽きないものなんだけど、大まかに二つに分けることが出来るの、解る?」
「二つ……男の子からか女の子からか、ですか?」
「お馬鹿。性別で分けてどうするのよ……一つは、実現可能な願いで、もう一つは実現不可能な願い」
「神様にも出来ないことなんてあるんですか?」

少しペースを掴んだのか、アイリはナナコの横に並んで訊いた。
ナナコは一瞬横を見て、すぐにまた進行方向へと視線を戻す。

「例えば、人の感情に関ること。相手に自分を好きになって欲しい、とかね。それから、死んだ人を生き返らせること。これはいくら神様でも出来ないわ」
「え、でもよく、両思いになれますようにー、とかの願いごとって聞きますけど……」
「そうね、女の子の悩みは尽きないものね。だからそんな時は、実現可能な範囲の願いに置き換えて神様に報告するの」
「……実現可能な願いに置き換える?」
「そう、例えば……」

そこで一旦言葉を切って、ナナコはスピードを緩める。
一瞬遅れてアイリをスピードを落として止まった。
二人がいるのは青い屋根の小さな家の上。二階の窓から愛らしい少女が必死に願いごとをしている。



「神様、神様お願いです……私を渉くんの彼女にして下さいっ」



人間に天使の姿は見えないとはいえ、不用意に近付いてアクシデントでもあったら堪らない。
二人は少し離れた位置でその様子を見ていた。


「さて、ここで問題。あの子の願いごとは実現可能?不可能?」
「えっと……ふ、不可能?」
「どうして?」
「えええっと……だって、彼女にするかどうかは渉くんが決めることで……」
「正解。もし渉くんに他に好きな人がいるなら、それは渉くんの気持ちを無視することになるわ。だからあの子の願いは実現不可能」
「でも、じゃあどうするんですか?」
「さっきも言ったように、実現可能な願いに置き換えるのよ」
「置き換えるってどうやって……」
「つまり、あの子は渉くんが好きなのよね」
「え、あ、はい、多分……」
「でも神様に願うくらいだから、相手が自分を好きかは解らない、もしくはライバルが非常に多い」
「です、ね」
「なら、渉くんが好きになっちゃうような女の子にしてあげればいいのよ」


そう言ってくすりと笑うナナコに対し、アイリは疑問を顔いっぱいに浮かべてナナコを見る。
解らないことがある、けれど訊いてもいいのだろうかと悩んでいる時にアイリがよくする表情だ。
流石に三ヶ月も一緒にいればナナコもそれに気が付いたのか、「質問はある?」と自分から促してやる。


「あの、でも先輩、それだと渉くんの気持ちを無視することにはならないんですか?」
「だって強制してる訳じゃないもの。願いを叶えた後でも、彼女にするかどうかを決めるのはあくまでも渉くんよ」
「あのあの、でも、確か、楽して利益を与えちゃいけないって……」
「そう、良く覚えてたわね」


楽をして利益を与えてはいけない。
それは「天使」を希望する際、真っ先に教えられることだ。
全ての願いを叶えていたら、人間は努力をすることを忘れてしまう。だから人間に力を貸して良いのは「神様」だけという決まりごとがあるのだ。


「渉くんが好きになっちゃうような女の子にするって言うのはね、可愛い顔にして、一晩で痩せさせてっていうことじゃないの」
「え、じゃあ一体……」
「小さなことでいいのよ。女の子ってほら、少し結果が見えると嬉しくなって頑張っちゃう子が多いでしょう?」
「確かに」
「ダイエットを始めようっていうきっかけを与えてあげるとか、それで頑張ったら少しお肌の調子を良くしてあげるとか……自分で努力するためのお手伝いをしてあげるの」
「へー……!」
「納得したかしら?」
「はいっ!」
「じゃあ、今日の研修で学んだことをレポートに書くついでに、神様に渡す願いごとリストの記入もやってみる?」
「え、いいんですかっ?!」
「何事も実戦だからね。ま、今日は体験実習ってことで」
「わーいっ有り難うございます!」
「その代わりちゃんと書けるまで今日の研修は終わらせないわよ?」
「えええええっ、が、頑張りますー……」



そうして二人の天使は夜空を飛ぶ。


ここはトーキョー、沢山の人の想いが交差する街。
優秀天使のナナコと新人天使のアイリは、今日も何処かで研修中。




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2006.04.09