六度目の冬はこなかった。



夜になっても朝になっても、あの人は帰ってこなかった。
傍にいると約束したのに、あの人は帰ってこなかった。
どんなに名前を呼んでも、あの人は帰ってこなかった。
声を枯らして泣き叫んでも、あの人は帰ってこなかった。

永遠なんてないこと、ちゃんと解っていた。
それでも、こんな形の終わりなんて誰が望むのか。

何も見たくなかった。
何を見ても思い出すから。
何も聞きたくなかった。
何よりも聞きたい声はもう聞こえないから。
人間の半分以上は水だと聞いた。
それならずっとこうして泣いていたら、いつか生きるのに必要な水分すらも失ってしまうだろうか。
ずっとこうして泣いていたら、あの人は来てくれるだろうか。
今日も玄関のチャイムが響く。
誰にも会いたくなんてなかった。
もう二度と、あの人がそこにいることはないのだから。

一人になった部屋はひどく広かった。
一人になったベッドはひどく広かった。
一人になった心は、ひどく――……。

自分だけが残ってしまった。
想い出を共有できる人は誰もいなくなった。
自分だけが残ってしまった。
大切な人はみな、自分を置いていってしまう。



「一緒に、いるって……言ったのに」


それは嘘になった。
あの人が吐いた、最初で最後の嘘になった。
後にも先にもこの一度だけ、何よりも残酷で哀しい嘘になった。


「約束したのに、来年も、再来年も、お祝いするんだって」


それも嘘になった。
まだ五回しか言えなかった。
生まれてから今までの間で、たった五回しか言えなかった。
一度目の冬は、ひどく驚いた顔をしていた。
二度目の冬は、まだ少し戸惑っていた。
三度目の冬は、ぎこちなく笑ってくれた。
四度目の冬で、初めて本当の名前を呼べた。
五度目の冬に、初めて、来年が楽しみだと言ってくれた。
それなのに。
六度目の冬はこなかった。
有り得ないはずの「永遠」がそこには無情にも存在した。

今日も玄関のチャイムが響く。
誰にも会いたくなんてなかった。
もう二度と、あの人がそこにいることはないのだから。

時間が過ぎるのが嫌だった。
何事もなかったかのように夜になって朝が来るのが怖かった。
時計を隠した。
カレンダーを破いた。
カーテンを閉めた。
目を閉じた。
耳を塞いだ。
全部から逃げた。
扉を叩く音がした。
名前を呼ぶ声がした。
知っている声だった。
けれどあの人の声ではなかった。
とても眠たかった。
音はどんどん遠くなった。
とても眠たかった。
きっとこれは悪い夢で、目が覚めるとあの人が顔を覗き込んでいるのだ。
「大丈夫?」と。
「怖い夢でも見た?」と。
きっと顔には涙の筋がたくさんできているのだ。
それを指で拭って、あの人は笑うのだ。
「傍にいるよ」と。


「……うそつき……」


小さく呟いた自分の声さえも曖昧に、意識は深く深く沈んだ。
遠くで何か、がちゃがちゃと聞こえた気がした。
自分以外にこの家の合鍵を持っている人はいないから、誰かが鍵を開けるならそれはあの人しかいなかった。
あぁ、ほら、やっぱり。
今自分は夢の中で、現実ではあの人が帰ってきたところなのだ。
少しずつ眠りが浅くなっていて、それで現実の音が聞こえているのだ。
いつも眠っていると起こしてくれないけれど、きっと今、自分の顔は涙でぐちゃぐちゃだから、心配そうな顔をして遠慮がちに肩を揺するのだ。
悪夢から、掬い上げてくれるのだ。







幾筋もの涙の跡。
ガリガリに痩せた身体。
間に合わなかった。
片方を失えば、片方が壊れるのは解っていた。
それなのに救えなかった。
この広い部屋で、どれだけ悲しんだだろう。
この広い部屋で、どれだけ寂しかっただろう。
この広い部屋で、たった一人で。
力任せに壁を殴りつけた。
悔しかった。
間に合わなかった。
真っ白な服は、まるで死装束であり二度目の花嫁衣装のようだった。
彼女は旅立ったのだ、彼女の好んだ、あの空へ。
彼女は嫁いだのだ、その先にいる、愛しい人のところへ。
願わくは、地上で挙げた婚礼同様、二人が祝福されればいい。
願わくは、二人が二度と離れなければいい。
そこには、ここにはない「永遠」が確かに在るのだから。


窓の外には雪が降る。
あぁ、きっと彼女は巡り会えた。
だから赦されたのだ、この世界にも、六度目の冬がくることを。




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2006.08.13